入院中の拙者

会いに行きます 其の十五

入院中の拙者

IBDの方に会って色々聞いてみよう第15弾!!

前からちょっと時間は空き申したが、順調に交流続けており申す。

今日お会いする方はS殿(UD−20代男性)

2011年頃

異変は高校3年の夏、所属していたサッカー部を引退。夏休みにアルバイトはじめたあたりで血便、下血。当時は「この年で痔か・・・」と思っていたそうで、特に病院には行かず。

夏休み明け、秋。今後の進路を考える時期。S殿は俳優を志す。地方だったので、専門学校や上京の費用貯めるために工場でアルバイトを開始。部活も引退したので週6日。

其の年の10月か11月。バイトの負荷が大きかったのか厠が近くなる。が、特に症状は出ず。

高校卒業の3月に内視鏡したことで潰瘍性大腸炎と診断されるも、調べなかったそうでござる。

卒業!そして上京へ

2012.4~7 初めての入院

4月になり新生活が始まり、S殿は上京し千葉に住み始めた。(この場合は上葉になるのかなあ…?)

が、生活し始めてわずか2ヶ月ほどで症状が悪化し、初めての入院に。期間は2~3週間。ここで絶食の指示。ステロイドも初めて服用す。親も心配し始める。お見舞いにポテチを持ってきてくれた友人も、、、まあしょうがないでござるがね。ただ見舞いにポテチのセンスって!と苦笑。

退院して専門学校の舞台の公演の準備が始まった。舞台の建込みから練習は一日12時間。金がないのでそこからコンビニの夜勤。一日2、3時間睡眠の毎日で、ステロイドも頓服くらいの症状悪化したら飲むくらいの感覚だった。厠に駆け込む回数は一日20回近くになっていた。なんとか公演も無事乗り切りつかの間の自由な時間に。

2012.8~10 激痛の里帰り

8月、計画していたわけでもなく、なんとなく実家に帰省しようと思ったそう。

そこで乗った新幹線で強烈な激痛が!!

実家は広島。現在地は新横浜。3時間くらいはどうしようもできぬ。なんとか乗り継いで帰ったはよいものの、実家では当然のように休むしかできなかった。

一日絶食したが、次の日吐き気。熱もあった。

実家近くの病院行くも、調べられず、「今行っている病院に行くのが一番です」と言われる。いやかかりつけこの辺ではござらんよ!!と聞いてて思った。

次の日母に付き添われて千葉に戻る。

千葉の病院行ったら39度超えていて即入院してください。血圧の数値が以上だった。拙者もずっと180の時期あったから共感ー!

母は広島に帰ったが、父母が呼ばれる。S殿は「おれちょっと危ないんじゃないか…??」と思ったそう。

腕から点滴入れられず、首から入れて横になってもしんどい。1ヶ月くらいこの状況が続き、体重も56kg→45kgへ。

「いつまでこうしているんだろう。」という気持ちと「うーんよくならん。」という気持ちと。

このときの再燃理由を訪ねてみると仕事による寝不足と不規則な生活やコンビニ飯だと返って参った。

2012.9~ 地元に戻る

9月、広島に戻って治療することを決意。帰りの新幹線乗っての帰り。絶食中にも関わらず黙ってカツ丼買って食べたそうでござる。気持ちはわからなくもないが、さぞ消化が大変だったことだろう。と思うも、返ってきた答えは予想に反して

ちょっと元気になったんすよ」

久しぶりに口から食べ物摂取するのって本当何でも美味しいからね。拙者は退院してからカツ丼食べてないけど。。

調子に乗ってカツサンドと車内販売の固ーいアイスクリーム食べたそう。日本刀も通さない硬度のアイスね。

地元の病院で

  • レミケード
  • タクロリムス
  • イムラン

のどれか選んでと言われてタクロリムスを選択。症状は改善した。S殿は当時を振り返ってこうつぶやいた。

S「カツ丼かタクロリムスのどっちかが効いたんですよねー」

侍「タクロリムスだよ!!」

若者が症状改善すると若者らしい食生活を欲す。
コンビニでカップラーメン、菓子パン、弁当隠れて食べ、外出届もらってお好み焼き食べたりしていた。

食生活もさることながら、この激動の3ヶ月、専門学校は休学していて、漠然と自分の将来について考え始めた。
相部屋に入院していて、同室のおじさんと仲良くなり、そのおじさんが広告代理店の社長だということを知り、人前に立つのは難しいかもだけど、制作ならできるのでは??と思い、そっち方面を目指すことに。

2013〜2015 卒業、そして新たな道へ

専門学校の制作課に復学。薬はタクロリムスからイムランに。カメラのアシスタントをやり、入院何度かしたけどだましだましで卒業。

厠の回数がとにかく多く、普通の仕事は難しいのでは、と考えてフリーで制作を2年くらいしていた。

レミケード、ヒュミラ、治験など色々薬は試した。痛くはならないけどとにかく回数が多かった。

だけど生活するために仕事はしなければならぬ。仕事のスタイルとしては在宅じゃないと厳しいかもと思い始める。

其の時に出た二択が「小説家」か「漫画家」だった。

漠然と小説家を目指すこととなった!

2015~現在まで 電子書籍デビュー!!

その時までまともに本を読んできてなかった。それで目指したのすごいけど!

有名どころや名著を片っ端から読み漁った。

そんな折、2018年5月、鍋の雑炊食べて腹痛。腸閉塞気味となる。そして入院。

大腸の全摘手術であった。

ショックかなと思いきや、ドラマとかで見るのと違って思ったより手術室暗いなあとか好奇心強めでござった!割とすっと受け入れることができたのでござろうか。

実際摘出された大腸見せてもらったそうで、「思ったよりデカい!」というのが正直な感想であった。そこでまた好奇心が出る。

S「この大腸記念に持って帰れませんか?」

医「ダメです」

当たり前だろ!!

4.5ヶ月ストマで過ごし、閉鎖手術。その間に通院と執筆活動を続けていた。

夢は色々と変更せざるを得なかったが、見切りをつけるのに未練はなかったという。その業界に対して向いてなかったと考えていたそう。好奇心は強かったのでどんな仕事でも興味があり、できることって何だろうと模索していた。そこで見つけた在宅の仕事。準備を重ねてひたすら執筆に向かう日々。

そして今年1月ついに電子書籍でデビューすることに相成り申した!!

椎名晴 「別れ話をしようか。」

現在は厠の回数は減ってきており、引きこもり気味だったけど、少しずつ明るくなってきたとのこと。仕事もできることからやっており、文字の仕事広げつつやっているという。

BEFORE→AFTER

  • 人に対して優しくなった
  • 入院中やさぐれた反動で優しくなった
  • 自分のペース守って生活するように
  • 時間とかもそこまできっちり気にしないように
  • 感情の波がうまくコントロールできるように

痛みは全くなく、油ものやファーストフードも食べ、タバコや酒もやる俗にいう不良患者だと自分で話す。乳製品や生野菜、刺激物はやめており、コーヒーは外出先のみ。

文章面白いですよと小説家の先生に褒められたのでまだしばらく綴らせていただき申す。

会いに行きますについて

このように、、

「現在クローン病もしくは難病患っており会ってもいいよ!」という方、拙者と会ってみませぬか??

ibdsamurai@gmail.com

↑こちらまでお気軽に。

「近くに同じ病気の人がいない!!」

「同じ症状の人に会ったことがない!!」

「なんとなく不安だったりする!!」

「元気にやれてるんで大丈夫だよということを伝えたい!!」

理由は何でもけっこう!

会って小一時間話していいよという方は、行ける範囲で会いに行こうと思っております。

お触書

  • 矢文が迷惑メール設定になっていて返信できぬ場合がございます。ご確認を。
  • 送ったけど返信なかなか来ない場合は埋もれちゃってる場合があるので催促して下され!
  • 交流希望の場合はそんな表現盛り込んでくれるとわかりやすいでござる!
  • 都内から移動ということをご配慮いただけると嬉しいです
  • 交流希望の方は日程連絡取り合って調整して参るが、少し時間かかってしまう場合ございます。返信含めて気長にお待ちくだされ。

まずは気軽に!!

…今日はこれにて鎖国。

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